昨日のちぇぶさんのブログ「石破茂、アメリカの核を共有させてくれと言ってる」にも顕著ですが、石破首相の(「専門分野」であったはずの)安全保障観(=国家観)には、危うさを感じる事がしばしばあります。
それは石破首相本人に限らず、安全保障担当の内閣総理大臣補佐官である長島昭久がインタビューで語っていた内容にも感じられ、内閣全体に通底した違和感と呼べるでしょう。
↓こちらの記事
「プーチンですら原発を破壊していない」…電力会社にテロ対策を求める非現実な規制委(長島昭久「魂のインタビュー」第1回)
おそらくタイトルを読んだだけで多くの人が「???」となると思いますが、原発再稼働を激推しする長島は、その主張を正当化するあまり「ロシアでさえウクライナの原発を攻撃していないのだから(再稼働のハードルとなる)原発を攻撃されるという心配は杞憂である」といった無茶な論を張ります。
長島はこう述べます。
原発を攻撃すれば、国際社会からの非難はこれまで以上に高まり、国際政治の舞台から去らざるを得ない状況を招くことは、さすがのロシアも理解している。
原発への攻撃どころか、核爆弾を2発も市街地に投下して数十万人の市民を虐殺しながら、国際社会で覇権を握っている国があります。長島は知らないかもしれないので教えてあげると「アメリカ」っていう国なんですけどね。
結局、「原発再稼働絶対!」というエセ保守界隈のイデオロギーを肯定するために、空虚な詭弁を呈しているに過ぎません。男系男子固執と構図は全く同じ。
外国の攻撃どころか、ちょっとした間違いで(「国土」から、そこで暮らす人達の生活すべてをひっくるめた)「クニ」を永久に失う事になる核に対するこの無意識過剰は、「保守」とは最も遠い所にある、効率&功利主義者の言説そのものです。
保守のフリをしながら、日本を真の自主独立国家にする気概など本当は微塵もないので、こうした「足腰」の弱い発言に終止する。
長島は
原発を狙われるリスクがゼロとは言いませんが、原発を持っていることだけが安全保障上の決定的なリスクであるかのように指摘する一方で、それ以外の日本の安全保障上の備えは批判する、というのはどうなのか。まさに「為にする議論」であり、フェアではありません。
と予防線を張りますが、これは目先でネトウヨ受けする、反左翼&サヨク的言説に過ぎません。
原発に対する防衛の強化を訴えるならまだしも、強い主張は巧妙に避けつつ、多弁を用いてケムに巻くように原発再稼働を正当化しようとするのは、政治家ではなく「世間家」の振る舞いです。
もしや石破首相は、こんな弁舌に拐かされて、防衛と同じく「専門分野」だったはずの皇統問題に関しても、「バランスよく総合的に判断したうえで」(長島インタビューより)、日和ってしまったのでしょうか?
長島は(このインタビューも本人が嬉々として再掲していたように)自らの功をアピールせずにいられない性格のようです。
しかし、例えば長島が意気揚々とポストするこちらの内容などは
本当ならば、「静謐な環境で」と言っていた麻生氏本人が、自らのポジションのために「皇統問題を道具に」した事になります。はしゃいだ長島は、そんな事にまったく意識が向かない(もしかして「麻生攻撃」のためにわざとやってる?違うと思うけど)。
この軽薄さは「安全保障」担当のポストを担う者としては致命的。
私は、この人物は遠からず政権に大ダメージをもたらす舌禍などをやらかすのではないかと感じると共に、「同じ穴のムジナで構成される」石破政権に対し、非常に危うさを感じてしまいます。